昭和40年08月15日 夜の御理解
お道の信心をさせて頂く者は、金光道と言う道によって助けられて行くと言う、そのどう云う様な助かり方、どう云う様な助けられ方、と云う事になるんですけれども、これはどういう信心の性格が違っておっても、そこん所は同じなんです。金光道というその道によって、私共は助かって行くのである。お願いをして助かって行くのではない。お願いをしお取次ぎを頂く所に、金光道という道を教えて頂くのである。
ですから、その道によって助かっていかなかったら、それはちょっとおかしい。成程それは親先生のお徳、金光様のお徳でです、お願いをすればです、道を踏まんでもです。道を踏まんでも成程おかげを頂いたりしましても、それでは何時まで経っても私は金光教の信者とは言えないと。金光道という道によって助かって始めて金光教の信者であると云う事が言えると私は思うのです。
教祖の神様は言わば教祖の神様の助かられ方、日々の今月今日で一心に頼んで、今月今日の生き方。というのを私共は神習わせて頂く訳ですけれども。今日、少年少女部会の会合が御座いました。皆集まってから私御祈念をしてから、まあ一口ずつご理解を頂くんです。私は先ず今日は8月15日と言う日はどういう日か皆知っているかと私は聞く。8月15日。所が今の子供達は知らないですね。
ただその御盆だと云う様な事を言うんですよ。訪ねるともう20年にもなるし、僕達は生まれても居なかったのだから、そうかも知れないかも知れないけれどね、今日8月15日は、いわゆる終戦記念日なんだ。はあぁそうそうというた顔を皆がしているんですね。その実感的に自分達がそこの時通っていないもんですから、分からないのでしょうけれども。例えばです成る程8月15日と言う日は日本国民全体が言わば。
、総泣きに泣いた日だと私は思うのですけれども、それこそ張り詰めたそのと言った様な物が一変に壊れた、やられた様な感じでした。皆さん。けれども、あの8月15日の終戦と云う事がおかげでです、今日こんなおかげを受けておるのだと言う事です。あの例えば日本人の負けず魂というか、大和魂を発揮して行きおったら恐らく日本全国全滅だったかも知れません。そうすると僕達も皆んな私達も、ひょっとするとここにおらんかも知れんぞと言うて話した事でした。
あの時先生が丁度、タイゲンの山奥の小さい部隊におった。兵隊さんに行っとった。皆がそのあの時ラジオを聞いて泣いたけれども、先生は不思議に泣かなかった。これはおかげを頂くなあと言う気がした。それは例えば私がどの様な危険にさらされて、今日はうちの部隊全滅するな言った様な風になったのだけれども、足ががたがた震えながら私自身本当にそう思うたんです。
俺だけは助かる。自分だけは助かるなあというものが心の中に湧いて来たです。確かに。金光様のおかげで助かるんだ云う様なものがそのあったんです。ですからこう云う様な、国民全体の難儀の中にです、けれどもこの事がおかげの元になるなと云った様な気があったんです。何か知らんけれど、皆んなは泣きよるけれども私は泣かなかったです。ですから、もしあの時のその事は忘れられない。
だから一遍はまた敵討ちをしなければならんと云った様な考え方は、教祖の神様の考え方ではない、お道の信心させて頂く者の考え方ではないのだと言った様な事を今日話した。今日は大変難しい事だけれども、教祖の神様が教えておられる所の、「難はみかげ」という御理解を皆さんは覚えておかにゃいけんというて、私は今日は皆んなに繰り返させたんです。唯あの難儀な時におかげを頂いただけではいかんです。
難儀の時にです金光道という道に御縁を、おかげを頂いとったおかげでです、金光様の踏まれたその教えられたその道を踏ませて頂きよったら、こういうおかげを頂いたというのでなければいけないでしょうが。そこにその道を踏んで行けばどう云う事になるかというと、真実の言わばお道の信奉者としてのです、おかげが頂けれるである。今日はその少年少女会方達の皆がこの前の信心実習会をやっておりますから。
そん時のその、感想文の発表会があった。他に色々綺麗な字で綺麗な文章で書いて来ておるんですけれども、その中で私は栄四郎が中々素晴らしい事を書いておるから、ちょっと見せてくれというて見たんです。あぁもう字も汚いし文章も拙いんですけれども、本当に肝心要の所を頂いておる。豊美が何か少ししゅうし直しなかろうかと思ってからと見せて見れというけれども絶対見せんち言うげなもん。僕は自信があるち。
僕の作文には自信があるち言うてから見せなかった、そして今日の発表しておるそのしだごだの作文の中に、肝心要の事を私に言うておると思うと思ってから、感心したんです。こういう雰囲気の中にこう言う風な物の見方考え方がです。本当の物になって行く所にいわゆる、お道の若葉としてのですね、言わば信心の子供会の言わば、信心の稽古が有り難い事になって来るなあと云う事を感じたんですけれども。
もう兎に角、出発の時からずぅとその、僕の気に食わない嫌な事ばっかりだったち言う訳なんですね。書いておる事が。そこで僕はその考えたち。これは日頃言う事を聞かなかったり悪い事をしたりしておるから、その言わばお気付けを頂きよるのじゃろうと思うてから心の中で金光様、金光様ち念じて行きよったらです、その嫌な事がみんな楽しい事になったと。一日大変楽しいと言う事を文章に書いておるのですよ。色々。
嫌な事、いわゆるちょっとした難儀なのである。けれどもこれは、自分の言わば私共でいうなら、めぐりだろうとか、お粗末御無礼のおきずけであろうと言う風にやっぱり頂く訳なんですけれども、そういう頂き方なんです。本当に今日は不愉快だ、いやだというて当り散らかしておるのではなくてです、本当にその自分に嫌な思いをする時にはです。悲しい思いをする時には、苦しい思いをする時には、今にみておれ仇をうって見せるけんと言った様な物ではなくてです。
そういう考え方ではなくてですたい、惟は自分達の生き方が間違っておったんだ、惟は日頃の自分のおきずけであろうと云う様な頂き方をさせて頂いて、金光様金光様を念じて行きよったら、いうならですね、栄四郎の言葉を借って言うなら、その嫌な事の中から楽しい事になって来て、一日が大変楽しい、信心実習であったと言う事を書いております。成る程、やっぱり自身たっぷりでその、皆んなに見せたかったそう云う事を思うですね。そう云う様な思い方がです。
私は金光道を行じ、その金光道という道を歩いておる者の生き方ではなかろうかと。そういう思い方、そういう考え方がです、者の見方がです。本当に私達の日常生活の中に心の中に染み込んで行くと言う事が私は大体いうならお道の信心のポイントになるだろうかと。打ち向かう物には負けて、いわゆる負けて時節にまかせよと仰る様な所。成る程、あの負けたおかげで例えば20年後今日こう云う様な、おかげを各々が頂いておると言う事。そこを私はまじで頂いてです。
道にのとったその生き方がなされていって、この、おかげでなからなければです、唯何か難は難だけれども、後からそれこそおかげになったというだけでは私は本当の事ではない。ね。お道の信心をさせて頂く者はです、金光道によってです、道によって助かると。道によって道が開けて行くと。道によって信心が分からせて頂けれるという、その道をお互い果たしてです、辿らせて頂いているかどうかと、お参りをしておるけれども、お願いをしよるけれども、おかげを頂きよるけれども、金光道という実意丁寧な道は歩いていないとするならばです、これはおかげを頂かなきゃいけんと思うですね。
おかげ頂かねばなりません。